柴田保之先生講演会
東京大学教育学部教育心理学科を卒業後、東京大学大学院を経て、1987年より國學院大學に勤務。現在、國學院大學人間開発学部初等教育学科教授。専門は、重度・重複障がい教育研究所において中島昭美先生のもとで実践的研究に携わる。また1981年より、町田市障がい者青年学級にスタッフとして関わる。
主な著書は、『みんな言葉を持っていた〜障がいの思い人たちの心の世界〜(オクムラ書店)』、『沈黙を超えて〜知的障がいと呼ばれる人たちが内に秘めた言葉を紡ぎだした〜(萬書房)』
介助付きコミュニケーション(指・筆談)というものを、20年以上研究されてきた柴田保之先生の講演会を関西の2箇所の会場で行います。
柴田先生は、國學院大學で重度の障がい者とのコミュニケーションの方法を研究し、試行錯誤を重ねながら、(指・筆談)という方法からその手がかりを掴まれ、今日では数多くの障がい者施設やその他で実践をされています。
今回、『ひらめき集中塾』にお越しくださるきっかけは、埼玉県久喜市で障がい者施設『あかり』を運営される川岸恵子さん、古堺義通さんからご紹介を受けたことで実現いたしました。
『あかり』さんでは、柴田保之先生が定期的に来られ、数多くの事例が報告されています。
ここに、そこで柴田先生の筆談でコミュニケーションができるようになられた方のごく一例を上げさせていただきます。
●2017年3月19日
S.Bさん(高校生)
「気持ちが伝えられてうれしかったです。
みんなもできるのでしょうか。
わたしが一番は申し訳ないですが、ありがとうございます。
いつもみんなのことが心配なのでよろしくお願いします。」
T.Kさん(高校生)
「Bさんありがとう。
僕が一番こまっているのがわかってもらえてうれしいけど、なかなか気持ちのとおりに体が動かないし、こだわると体を止められないので、いつもご迷惑をおかけしていますが、僕たちを人として見てくれているので、僕はここが大好きですが、もう少し落ち着けると思うのでよろしくお願いします。」
O.Yさん
「みんな言いたいことがようやくいえてよかったね。まさか手を添えてもらうだけで、こんなに楽に字が書けるなんて夢みたいです。ずっと一人で書こうとしても難しかったのに嘘のようにすらすら書けて信じられません。感激しています。」
S.Kさん
「どんな感じなのかとても不思議でしたが、これならどんどん書けますが、まさかこんなやり方があるなんてびっくりです。僕はしゃべれてもうまく気持ちが表現できなくて、とても誤解されてきていますが、僕が日ごろ考えているので、それを知ってほしいです。」
これらは、柴田先生が『あかり』さんという施設で筆談で対話をされた時の、ごく一例です。
「すべての障がい者は言葉を持っていた」
「言葉があるのに、ないと思われ無視されてしまうことは人間の尊厳を著しく傷つける行為をしてしまっているのです」
「コミュニケーション手段を閉ざされた世界で、気持ちを静めようと自分自身のためだけに綴られた詩。誰かに伝えるためでも、誰かから誉められるためでもないのです。」
「。。。脳性まひや自閉症に限らず不慮の事故などで脳の機能を損なった場合、なぜ筆談という方法で、言葉だけが保たれるのか?という疑問に対する回答として
発語と理解では構造がちがい、理解のほうは回復しうる。ところが出力は非常に難しい。発語のためには一定の筋肉群を一定の順序で収縮させたり、弛緩させたりするのは、気の遠きなるような複雑なシステムで不可能に近いからです。
よって、議論は二つに絞られます。障がい者には言葉を認識し理解する力はあるのか。一方、発語という出力へのハードルがあまりにも高く単に伝えられないだけなのか。」
柴田先生が、著書の中でご自身が筆談に出会われる前の心境を披瀝される箇所がとても印象に残っています。
「むしろ、『言葉などなくても、人間は素晴らしい』ということを明らかにすることが自分の使命だ、などと考えて、障がい者との関わり合いを続けていたのです。しかし、どうやらその考え方は間違いだったようです。意思をまったく持っていないかのように見える重症心身障がい者と呼ばれる方のほとんどが、言葉の世界を持っているということを、今では確信しています...。」
私はこの文面を見て、“障がい福祉の父”糸賀一雄先生の言葉を思い出しました。
「この子らを世の光に」と叫びながら、54歳の生涯を障がい者教育に捧げた郷土の偉人です。
柴田保之先生は、糸賀一雄先生が成し遂げられなかった夢を21世紀の障がい福祉の分野で継承されるお立場・お役目を担う方だと思わずにはいられません。
ひらめき集中塾でこのような機会を皆様と共有することができる幸いに心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。
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