糸賀一雄には、
本気で『この子らの内面に輝く光エネルギーが、世界の戦争という愚行を消滅し得る』という明確なビジョンを見る瞬間があった!
規模の大小を問わず戦争という悲劇、文明の隠れた本性を現すような愚行が今なお消滅できずに続いているという現実がいまもあります。糸賀一雄の障がい児教育は、たんに社会的弱者である身寄りのない戦争孤児や障がい者の人たちへの慈愛の心で行ったとは到底言いきれないほど、そこに投入し生涯をささげた糸賀の情熱は推し量り難いものがあります。
どうやら戦争を経験した糸賀にとっては、福祉の活動とは、人間の命の根幹をおびやかす”文明の体質”への危機感から「文明の体質改善」という根本の入れ替えをしないかぎり実現しない大事業であると考えたふしが見受けられるからです。
それは、従来の常識とは異なるもう一つ“別の価値”を見出すところからやり直す必要がありました。
肉体的、精神的、知能的、社会的、経済的優位者と劣等者・弱者を、目に見える尺度である物の量や、数字(IQ)で評価、判断する価値観から、人間の内面の目には見えない“光”や、こころの豊かさ、広がり、奥深さを感じ取り、個性を尊重しあえる価値観を提示したのであった。戦争を起こす光は「この世の中の光」であり、障がい者の内面の光とは「この子らの光」なのです。
障がい児の改善を通じて『この子らの”光”』のエネルギーで世を照らす。その「光」が世界を根本からひっくり返するほどのエネルギーを秘めていることを糸賀は知っていたのです。障害者との日々の交わりを通して、文明・社会システムそのものが変容するほどのインパクトを持つということを実感する瞬間があったというのです。
「弱者=無価値である」ことに何の疑いもなく、これを前提にした「この子ら”に”」という見下しの価値観 から、脱却し「障がい者の内面に輝く光を発見」し、その価値とエネルギーが「この子ら”を”」という、最大限の価値へと転化させ、世の中に対するメッセージとして投げ込まれた衝撃は、戦争が行われる今の時代だからこそ説得力が増します。まさに人類史上類例を見ない勇気ある偉大な行動・宣言であったと思います。
糸賀は「障がい児の光」に触れることによって、当時、はっきりとその優劣の基準がまやかしであることに気がついたのです。
これは、彼が京都大学哲学科を専攻した実践的哲学者でありキリスト者であったことが大きいことは事実だと思います。しかし、それ以上に障害児との共同生活の中で感化された命の光との遭遇の方が大きかったと思います。現に糸賀は実践に忙しく、洗礼を受けてはいても礼拝する時間もなかったくらい寝る時間も惜しんで活動されていたといいます。(※近江学園のスタッフをされていたYさんに当時の状況をインタビューしたときに証言を得ています。そして、宗教や主義、思想に対しても、糸賀はほとんど囚われておられなかったそうです。天理教の実践者田村一二氏とスクラムを組んでの近江学園草創期のお話を別の方=高島のはこぶね保育園元園長Iさん からも直接聞いています。)
何より、糸賀一雄さんの斬新性は、当時日本では異端的活動家(平和運動家)であった桜沢如一氏と深い親交を持っておられたという点にあります。欧米では普及し、日本では迫害を受けた「マクロビオティック」という食養の思想を障害児や身寄りのない子に実践したことは特筆に値します。そして、戦後の焼け野原で食料が尽きた時、死に物狂いで子どもたちの分は確保し、自分やスタッフには敷地内の野草で飢えを凌いだということです。(この話も、先述の当時スタッフとして活動された方から直接聞きました)
「ひらめき集中塾」は糸賀一雄が見たビジョンと重なり合います。そしてその悲願を受け継いだ者が自覚をもってやっていくにふさわしい仕事であり、使命だと思います。